作成日: | 2012/02/24 |
最終更新日: | 2024/06/12 |
成瀬関次の思想形成 (明治21年[1888年]11月10日~昭和23年[1948年]9月30日) 著書・編書一覧
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成瀬関次の思想形成 ― 「第四次延長」の思想を軸に ― 成瀬関次と宮沢賢治 成瀬関次は一般に、刀剣・武術の研究家・随筆家として知られており、またその方面からの引用参照が多いですが、初期や晩年の著作に見られるように、思想や文化に関する文筆家としての一面もあります。社会主義運動、無政府主義、白樺派への共感、キリスト教ヒューマニズムの思想から(一見)国粋主義思想への傾斜は、成瀬の思想が次第に反動化していったと解釈することもできますが、むしろこれらのすべての思想に共通するのは、自己利益の追求をあからさまに肯定し、自分の利益のために他者と競争することによって、結果的に他者に不利益を与えることをも肯定するような近代資本主義的な思考への危機感であったと思われます。 実際、成瀬は1929年、妻・豊とともに、日本でも最初期の私立聾唖学校の一つである「言泉学園」(根本匡文「昭和前期の東京における聾唖児教育施設・言泉学園」『聴覚障害』63巻6号2008年pp.26-34に詳説)を設立(第二次世界大戦末期に閉園)し、著述家としての収入の多くをその運営資金としてつぎ込んでいました。日本の近代化の中で次第に顕著になりつつあった自己利益至上主義的な社会風潮に抗して理想主義を貫こうとした姿勢が、そこにも見て取れます。 そのような大きな視野から、初期から晩年に至る一見まったく異なるように思えるテーマの著書群を導く赤い糸 ― 近代資本主義社会の自己利益至上主義=エゴイズム克服の模索 ― を見いだすことができると、私は考えております。 当時の文化状況にも目を向ける必要があります。近代、ことに19世紀以降の西欧(的)世界で顕著になった自己利益追求への欲望は、欲望の対象としてのモノへと関心を集中させ、欲望主体の心の動きを、すなわち自己自身を忘却します。そこに唯物論的実証主義(行動主義)が生まれます。更にそのような自己利益至上主義は個人のレベルにとどまらず、社会集団、民族・国家へと広がり、社会的格差、国際的格差を拡大し、植民地の争奪と戦争の時代を招来しました。 しかし翻って ― 成瀬の問題意識に依って ― 考えるなら、欲望という心意識の地平においてのみ、モノは欲望の客体として構成され意味づけられるのです。心から独立した(かに見える)客体の三次元的立体的な世界もまた、心との相互関係においてしか成立しません。一例として、色彩と音響に満ちた、世界と呼ばれる豊饒の海は、わたしたちの認識系との関係において可能になるのであり、それなしには無形無音の単なる波長でしかない、ということを考えれば足りるでしょう。真の実在の意味を賦与するのは心意識なのだ、という気付きは、心の復権をもたらしました。唯物論的実証主義と戦争のぬかるみへと足を取られはじめた19世紀末以降、自然主義と写実主義とに抗して、心の復権は思想(新カント派、現象学、実存主義)、文学(反自然主義的・新ロマン派的諸潮流)、芸術(後期ロマン派、印象主義以降)などの文化諸領域において、重要なテーマとなっていったのでした。大正デモクラシー期以降の日本の思想文学芸術の諸潮流も、この、時代特有の緊張に満ちた問題意識の影響を受けながら育っていったのです。【補足説明1】 五官によって知覚可能な三次元的立体世界を観察するだけでは、存在相互の関係性を見極めることはできません。たとえば、天界にランダムに点在する星々をつないで、それを巨大な蠍(さそり)であるとか、十字架であるとか認定するのは、知覚の仕業ではなく、現に知覚していない物を心に思い描く「思想力」(『第四次延長の世界』p.56以降に頻出、今日の用語では「構想力」、ないし「ファンタジー」に近い)の働きです。思想力が産みだす幻想は知覚世界の秩序に拘束されず、そのためにとりとめもない妄想へと拡散してしまうこともありますが、また時に、知覚世界の秩序に拘束されない幻想秩序によって自然と、社会と、心の関係に新たな意味を与え、新秩序を物語り形づくる能力でもあるのです。【補足説明2】人間が自然の秩序をこえて築いてきた社会的慣習や規範、文化的価値や美は、そのような人間の意味づけ、物語る思想力によって可能になったのです。知覚可能・計測可能な三次元的立体世界を超えた「思想力」(意味づけ・物語能力)というもう一つの尺度、すなわち第四の延長こそが人間の尊厳であり、比喩的に表現するならば、この思想力こそが、人間に獸とは異なる能力、すなわち神的な性格を賦与するものである ― そのような「思想」は19世紀の西欧(的)社会における(広義の)ロマン主義の系譜の中で、さまざまな展開を経験しつつ、上述のように日本の文化諸領域にも大きな影響を与えました。 この点に、成瀬関次と宮沢賢治の第四次延長の思想をつなぐ共通の思想文化的背景があると鎌田は考えております。宮沢賢治が『春と修羅』(1924年=大正13年4月20日刊行)序文に用いる「第四次延長」という表現が成瀬関次の『第四次延長の世界』(1924年=大正13年2月8日刊行)に依拠している可能性については、『宮沢賢治―その独自性と同時代性』(翰林書房、1995年)の著者西田良子氏より2003年頃ご説明頂きました。【補足説明3】このテーマには、寮美千子氏も触れておられます。 第四次延長の思想が、何らかの意味でアインシュタインの相対性理論(『特殊相対性理論』1905年に始まるが、どの時点でどの程度の文化的影響を及ぼしたのか、という点は未調査)に触発され、あるいは勇気づけられたものであったとしても、成瀬の第四次延長の思想を自然科学に引きつける解釈については、すでに多くの方が懸念を表明されているとおりです。実際成瀬は『第四次延長の世界』初版「巻首に」冒頭に、「私が『超立方物體』といふやうな事に思ひをひそめた抑々のはじめは、明治四十一年頃、桑原といふ人の著『精神靈動』を讀み、續いて福來博士の講演を聽いた頃に端を發する。其の後たしか大正二年頃と覺えてゐる、リテラリイダイゼスト誌上で、フォースデイメンションの解説といふやうなのを見て、線と平面と立方體という風に説いてあるのを非常に面白く思ったから早速其の讀後の印象を私の考えに加味して『第四延長の説明』と題し、大正三年の夏頃、日本師範學会の誌上ほか二三に發表した。」(「巻首に」1ページ目、ページ付なし、事実関係は未確認)と書いており、三次元空間の相対化と第四次元の思想(構想)は、当時さまざまな領域で議論されていたことが推測されます。 反対に、成瀬の四次元思想を通俗的神秘主義と安易に結びつけることも危険です。そうするには成瀬は合理主義者でありすぎました。成瀬の合理主義は「国家主義的転向」の論理的基盤といえる『マルクス學を崩す』(1934年)においても、さらに戦意高揚のために武術に関する著作を主として執筆するようになった後でも ― ことに刀剣の性能の現実を武道としての理想と明確に区別して議論する態度などに ― 明確に引き継がれます。しかしまた成瀬は、そのような合理性も思想力に基礎づけられるものである(合理性もひとつの意味づけ、ひとつの物語である)と考えていたようです。 『第四次延長の世界』が1924年に著されたこと自体は、アインシュタインの来日(1922年)がきっかけとなっていると考えてよいでしょう。同書は「第一版すらも完全に領布し終わらぬであらう」(第三版「重版の巻首に」1ページ目、ページ付なし)と考えた著者の予想に反して、同じ年の6月に第三版が出たことが確認されており、それなりの反響があったと考えられます。【補足説明4】その巻首で成瀬は次のように述べています。「然るに、此の小著(=初版のこと、筆者)に對する世の批評は、甚だしく私の期待に反してゐた。或るものは、第六感、すなわち千里眼の原理と考へ、或るものはアインシタインの紹介と看なし、私が過去十數年間考え續けて來た所の思索の一端である事に同情してくれたものは、ほんの一二に過ぎなかった。」(第三版「重版の巻首に」2ページ目、ページ付なし) 更に、重版の附録「第四次元は『時間』である ― アインシタインの第四次元 ― 」pp.79-80においても、成瀬はみずからの四次元延長を哲学的思想であるとして、アインシュタインとの違いを明言しています。 『第四次延長の世界』終章「天國は近づけり〔対話〕」において、一方では「天國」「默示」などの神話的な表現を象徴的に用いながらも、「人類の進化はたゞ思想力の進化に俟つのみです。形體的進化は、思想力の變化に順應して行くものでせう。」(p.72)と述べます。 以下にご紹介する初版の結び(p.78)は、本書の核心が、すなわち初期の成瀬が「過去十數年間考え續けて來た所の思索」が結晶している箇所であると思います。
★ 以上は私が、成瀬関次の第四次延長の思想(およびおそらくは宮沢賢治のそれ、および幻想第四次の思想)を、当時の文化史的背景の中に位置づける際の要点と考えるものです。順々に書き足してきているので、全体の統一がとれていない上、叙述が簡単に過ぎて、十分に説明し切れていないかと思います。あまり遠くない時期にそれらの問題を詳しく、系統的に論じたいと思います。また、以下の補足説明もご参考になさってください。 いずれにせよ、成瀬関次にしても、宮沢賢治にしても、彼らの思想の核心を取り出すためには、その時代に共有された特有の語法からの「非神話化」の作業が必要です。 両文人の関係についても、それを一方から他方への影響と呼んでよいものか、あるいは両者共に上述のような文化的背景を共有しつつ、一方が他方にトリガーを与えたに過ぎない、というような種類のものなのか、あるいは更に、両者は何らの直接的な関係はなく、たまたま同じ影響源ないし同じトリガーを共有していたのか、など、いろいろな可能性が考えられます。 同様の問題について調査、研究をなさっている方がおられましたら、情報交換お願いできれば幸いです。 【補足説明1】心の復権 成瀬関次は、1915年(大正4年)にヴェデキントの作品を英訳からの重訳で刊行しています(末尾の「成瀬関次(単著)著書・編書一覧」参照)。人間の合理的思考の深層をなす性欲を描くヴェデキントを、モーパッサンらの自然主義文学と対比しながら、次のように論じます。「彼(=ウェデキント、筆者)は叉他の作家と異なつた一種獨特の個性を持つてゐた.彼はゲルレルの論じたごとく、慥かに五官覺以外に他の一官覺を完全に具へてゐた人であつたに相違ない.おそらくウエデキント自分自身にすらも其が解らなかつたであらう.其一官覺が彼の経驗と修得以上に大なるある物を彼に發見せしめた.彼が時代に一歩先んじた如き觀あるのは其の爲である.」(深沢岩十訳『犠牲の女・肉の愛』p.94)という箇所には、後の「第四次延長」の思想のルーツの一つが潜んでいるように思われます。この後書きが書かれたのは、成瀬が『第四次延長の世界』で言及する(未確認の)日本師範学会誌への寄稿論文が書かれたのと同じ年でありました。 本文へもどる 【補足説明2】成瀬の(一見した)反動化 成瀬関次は、10年後の『マルクス學を崩す』において、マルクス的唯物論に対してカント的唯心論(=ここでは観念論/理想主義 idealism と同義)を勝ったものとしています。しかし同時にマルクスの社会思想にも一定の評価を与え、マルクス主義に与しない者もマルクスの主張に耳を傾けるべきことを述べています。この書には、成瀬が社会主義から観念論的理想主義(idealism)を経て国体思想 ― これを成瀬は「一君萬民無搾取国家建設論」と呼ぶ(『マルクス學を崩す』冒頭「自叙」、ページ付なし) ― へと移る思考過程が記録されています。『マルクス學を崩す』の詳細な検討は別の機会に譲りますが、ここでは、成瀬関次がカントの『純粋理性批判』に大きな共感を示していることを報告しておきます。「哲學史を繙いて見るに、唯心論は、殆んど人知の能ふ限りの深さ高さまで思索し盡され、所謂「腦髄の破壊點」にまで達して居るが、唯物論を主張した哲學者は深甚さの度合いに於いても思索の精密さに於いても、唯心論のそれに比べて遙かに遠く及ばなかつた事は、諸學者の等しく認める所である。/ 唯心論の雄カントは、「我々の認識は、主體である『心』と、客體である『現象』との結合によるものであって、現象の本體卽ちそれ自體、例へば神とか宇宙とか靈魂とか云ふやうな物は我々の認識とは没交渉なものである。我々の認識し得る領域は即ち経験界のみである」(『マルクス學を崩す』p.15)。このあとに、カント哲学の解説が続きます。 またここで、敢えて「新秩序」という挑発的な表現を用いたのは、新たな、よりよい世界を創ろうとする理想主義の中には、上述のように東亜新秩序、大東亜共栄圏といった政治思想の萌芽も同時に含まれているからです。言い換えれば、そのような人間の心意識の、意味づけ物語る能力への気付きと希望が、意図的、非意図的を問わず、当時の日本帝国の政策と重なり合ってしまったことが、外から見ると転向と思える不自然さであったとしても、多くの知識人が進んで戦争に加担していったことの一因であると考えます。 他のさまざまな社会・文化・政治的要因との関連に注意しながら慎重に扱うべき問題であり、短絡的(単一因果的)にとらえてはなりませんが、この点は、イタリアにおけるファシズムやドイツにおける国家社会主義の思想的成立基盤とも共通しますし、成瀬もそのことを自覚していたようです。(ヒトラーは絵画をデザインするだけではなく、強い意志によって世界をデザインする芸術家であろうとした。しかもデザインすることのはかなさと美しさに酔っていた!)。 さらに、芸術、文学、哲学から社会思想、国家思想に至るまであらゆる領域を指導した知的創造性(意味づけ、物語る能力)は、絶えざるイノベーション ― 絶えず新たな製品、新たな市場、新たなマネージメントを模索する近代資本主義の思考行動様式の純粋培養形態であるといえます。その意味では、近代資本主義が、ことに大衆レベルにおいては、観察可能なモノ、欲望の対象に関心を向け、欲望主体の創造性を忘却する傾向(消費社会化)にあった(誘導された)のに対し、知識層を中心に、その忘れられた主体性、心の復権を図る動きが、これら一連の反自然主義的な文化・社会・政治運動であったと考えるなら、写実主義もロマン主義も、実証主義も実存主義も、自由主義も(全体主義を含む広義の)社会主義も、ともに近代資本主義の本質を表裏一体的に表すものである、ということができるでしょう。その意味で、20世紀前半にドイツや日本においてグロテスクな結末を生んだ国家覇権主義は、実は近代民主主義の敵対者ではなく、むしろ鬼子というべきですし、現実に、そのような全体主義的傾向は役者を替えつつ今に至るまで、民主主義世界のまっただ中で繰り返されています。重要なのは、そのような19世紀から20世紀にいたる大きな流れの理解と、個々人(例えば成瀬関次や宮沢賢治)の生き様を覗き窓としながら、彼らの生きた時代を理解することとを通して、歴史解釈と同時に自分たちの思考行動様式を未来に向かって批判的に意味づけてゆこうとする姿勢だと思います。 本文へもどる 【補足説明3】成瀬関次と宮沢賢治 ― 第四次延長の世界をめぐって 成瀬自身は上述のように、『第四次延長の世界』「創造的存在物」(pp.56-65)の章で「『獸』を『人』たらしめた『思想力』」について論じ、人間の顔の認知を例としてとりあげています。(原文はこちら)知覚によって構成される三次元立体空間の世界に対して、それらに新たな意味を賦与しつつ物語る思想力こそが、三次元の延長に加えて人間固有の第四番目の延長を与えるのです。「第四次延長」という表現は、時間軸でもなく、空間軸でもなく、むしろ思想力(構想力)のアナロジーです。 このように理解するなら、成瀬関次と宮沢賢治の「第四次延長」の思想的親近性が明らかになってくるでしょう。「第四次延長」という表現を宮沢賢治は、大正13年3月に出版された『春と修羅』の序の末尾に置いています。次に、本文58行からなる「序」の冒頭と38行目以降、および末尾だけを掲げておきます。
「ジョバンニの切符」の章に現れる「幻想第四次」という表現の「幻想」の語のステータスにも注意する必要があるでしょう。『銀河鉄道の夜』では以下のように語られています。鳥捕りがジョバンニの切符を見て言います。 「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方大したもんですね。」 幻想第四次の銀河鉄道は、宇宙空間を飛ぶというような日常の感覚を超えた超自然的な姿をとるから第四次元的なのではないのです。この銀河鉄道の物語をみずから語り出し、語り合う人々(作者宮沢賢治とジョバンニたちと、読者である私たち)の思想力が銀河鉄道の夜の存在を保証しており、その思想力こそが日常の三次元的感覚の受動性を超えた第四次の延長の積極性だからなのです。それは丁度、愛は石ころのようにどこかにころがっており、三次元的感覚によって知覚できるようなものではなく、愛し合う人たちがお互いを信じる限り存続し、承認され、現実的な働きをなすのと似ているでしょう。心のできごとにしか過ぎないと思われるような愛は、手に触れることのできる石ころよりもはるかに大きな働きをするではありませんか。心の中で起こることなど、観察・計測できる行動ほど確かな存在ではない、と主張する浅薄な行動主義者は、早々に銀河鉄道から下車しなければなりません。そのような人は、今自分を取り巻いているもののほとんどが、石ころのような自然の存在ではなく、私たちの語る物語に組み込まれ、意味づけられ、あるいは加工され、価値づけられたものである、ということに思い至らないからです。ジョバンニは、思想力という第四次延長の能力を純粋な形で働かせることができるので、幻想の世界をどこまでも生みだし、物語ってゆくことができるのです。その能力の象徴が「どこでも勝手に歩ける通行券」であって、その通行券が何か特別の超自然的な魔力を持っていたり、特別な魔力を与えてくれたりするわけではないのです。 上記のように、「四次元」が意味づけと物語の能力(成瀬の言う「思想力」)に与えられた名称であるということを承認した上で、その前につけられた「幻想」が、「思想力」という能力を説明する言葉なのか、すなわち、意味づけと物語の能力としての思想力の対象全般(哲学用語を用いるなら「表象」ないし「ファンタスマ」)に対して与えられた名前なのか(空即是色?)、人間の思想力によって意味づけられ、物語られる(にすぎない)というある種のはかなさ(色即是空?)を表現しているのか ― そうだとすれば、物語の終わりにジョバンニが夢から覚めるのは、意味づけと物語のはかなさそのものの表現と言えるでしょう。もちろんそこでは、夢から覚めること自体がまた夢、ということになるのですが ― あるいは、その両方なのか・・・宮沢賢治をよくご存じの方はどのように判断なさるでしょうか。 宮沢賢治の用いる「第四次延長」という表現が成瀬関次に依拠したものなのかどうか、結論を出すにはまだ早いですが、私には、第四次延長という単なる用語の符合よりもむしろ、両者の思想の近さが関心を惹きます。 本文へもどる 【補足説明4】『第四次延長の世界』初版、二版、三版 1924年6月10日に発行された第三版が現存し、その冒頭に「重版の巻首に」が置かれていることから、第三版は重版(第二版)と事実上同内容(今日では重版2刷というべきもの)ではないかと思われます。現時点で鎌田は第二版の内容を確認できていません。「重版の巻首に」の日付が5月15日となっており、第三版の印刷日が6月7日となっているところから、その間、おそらくは5月下旬頃に発行されたと推測されます。時間的にはかなり短い印象で、可能なのだろうかという疑問が浮かびましたが、重版では本体部分の変更は事実上なく、「巻首に」が書き換えられ、附録「第四次元は『時間』である ― アインシタインの第四次元 ― 」の23ページが書き加えられただけと考えられること、『第四次延長の世界』第三版奥付を見ると、発行所(出版社)は荻窪の昿台社となっていますが、印刷は当時成瀬自身が経営していた池袋駅近くの成文印刷所で行われたこと、急ぎの仕事は夜中でも行われていたという長女玲子の証言もあわせ考えると、短時間での作業も不可能ではなかったと思われます。 発行から半年で第三版まで出たということ自体、『第四次延長の世界』にはそれなりの反響があったということを意味します。また当初印刷所と同じ建物の一階一部及び二階に居住していた成瀬一家は、成瀬関次の著述家としての一定の成功に支えられてでしょう、すでに四人居た子供達の教育のために、「空気のよい」環境である椎名町駅に近い千早町に、当時としては珍しい南米のラワン材を使った洋館風の家を構えて引っ越すことになります。重版が直ちに売り切れる状態だったとすると、その反響、あるいは反響の引き金(広告や論評など)がどこかにあるのかもしれません。そこから直ちに初版の反響を推論することはできませんが、『第四次延長の世界』は当時予想以上の ― 岩手県にいた宮沢賢治にも直接または間接に届くような ― 反響があったということも考えられます。 鎌田は当初、「第二版」はひょっとすると存在しなかったのではないか、という疑念をもっておりました。それは、「重版の巻首に」の日付5月15日と、第三版印刷の日付6月7日との間にもう一版を発行するのは難しいのではないかと思ったからです。また同時に、「重版の巻首に」2ページ目(ページ付なし)では、1915年頃著されたとされる『立方体世界の終り』の重要性が強調され、これによって『第四次延長の世界』の思想とアインシュタインの理論(ないし千里眼思想)との相違を明らかにしようとしています。このことは、重版の「附録」でも強調されます。ここから『立方体世界の終り』を事実上の第一版とみなし、1924年2月刊行の『第四次延長の世界』を第二版と見立て、それゆえに6月版のタイトルに『第四次延長の世界(第三版)』を充てた、という解釈も成り立つのではないかと考えたのです。しかしそうすると、「重版の巻首」に記された「第一版」が明らかに2月版のことを指すのと矛盾してしまいます。 以上より、重版すなわち第二版は実際に発行されたと考えるのが妥当であるとの結論に達しましたが、いずれにせよ「重版の巻首」2ページ目の記述から、『立方体世界の終り』という著作が実際に刊行されたということの信憑性は強化されます。それと共に、1924年2月版の巻首に言及された『第四延長の説明』と、1924年6月版で言及された『立方体世界の終り』との異同関係が興味をそそる問題となります。この点についても、(これらの著書が実際に存在した場合)いくつかの可能性が想定されます。(1) 両者は同じもので、本来『立方体世界の終り』というタイトルであったが、成瀬が記憶違いあるいは何らかの(戦略的?)理由で2月版に『第四延長の説明』と誤記してしまった。(2) 両者は同じもので、本題が『立方体世界の終り』、サブタイトルが『第四延長の説明』(という表現を含むもの)であった。(3) 両者は(同じ著者のものであるという意味での思想の共通性はあったとしても)異なる二つの著作であったが、2月版ではタイトルの類似を優先して『第四延長の説明』を挙げ、6月版では『第四次延長の世界』との内容的な連続性を重視して『立方体世界の終り』を挙げた。ほかの推理も可能かも知れません。 この【補足説明4】の内容はすべて、『第四次延長の世界』第二版、ないし『立方体世界の終り』の実在が確認されれることによって検証される仮説に過ぎません。しかしそれらの存在が確認されない限り、存在しないという証明は困難であるがゆえに、上記のさまざまな選択肢の可能性を想定しておく必要があります。 本文へもどる 【補足説明5】成瀬のショーペンハウアー受容 ショーペンハウアー研究に人生をかけてきた鎌田の目からは、残念ながらこの評価は不当です。しかし、成瀬関次のショーペンハウアー理解は、まさしく19世紀末にショーペンハウアー哲学が、当時の自己利益至上主義を正当化するための目的合理主義と唯物論的実証主義への反撥という土壌を共有しつつも、非合理主義的性愛論(田山花袋らの写実主義からの色づけ)、厭世主義的自殺論(芥川龍之介の自殺などからの色づけ)などと結びついた反合理主義の特殊形態として受容されたという事情を考慮すれば当然のことと言えます。むしろ、ここに引用した部分や、上記の想像力によって創造・想像された幻想世界の思想による現実の新たな意味づけという発想は、近年再構成されたショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」の構想に近いと言えます。詳細は、ショーペンハウアー関連の拙論を参照して下さい。とくに、Yasuo Kamata, Der junge Schopenhauer. Genese des Grundgedankens der Welt als Wille und Vorstellung,)Freiburg/München: Alber, 1988, 333 Seiten; 鎌田康男「構想力としての世界 ― カント『純粋理性批判』演繹論の受容から見る初期ショーペンハウアー哲学の再構築」、『理想』第687号(2011年9月)pp.2-22.などご覧ください。また鎌田康男日本語ホームページにもいくつかのショーペンハウアー関連論文を公開しています。 更に、上の【補足説明2】で引用した『マルクス學を崩す』p.15の引用は、ショーペンハウアーの唯物論批判を強く思い起こさせるものです。 本文へもどる |
(1) | 書名がグリーンの文字(背景クリーム色)の著作は、現物またはコピーを確認できているものの、私がまだ所有していない著作です。古書などでのオファーを見かけられた方は、どうかお知らせください。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(2) | 書名がグレーの文字(背景クリーム色)の著作は、著名が知られているものの、現物の存在、書誌情報が確認できていない著作です。何らかの情報をお持ちの方は、どうかお知らせください。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(3) | 著者名(ペンネーム)が「成瀬関次」以外の著作については、著作名の前に異なる著者名を記しています。 |
書名 | 出版社 | 刊行年 | その他 | 所蔵場所 | ダウンロード用リンク、備考 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
深澤白人編 山本一蔵『飼山遺稿』 | 泰平館書店 | 1914 | 復刻版:湖北社、1980 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
深澤白人訳 フランク・ヴェデキント『犠牲の女・肉の愛』 | 泰平館書店 | 1914 | 97ページ | 国会図書館 (請求記号: トク101-382) 近代デジタルライブラリー 館内のみ閲覧可 | 窪田空穂による序文に、印刷の自由の象徴として、文学作品として初めて横書き印刷するとの抱負が述べられているほか、巻末にウェデキントの詳しい紹介を載せる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
成瀬白刃著 桑名案内 | 成瀬豊 | 1920 | 7+185ページ | 国立国会図書館蔵書 近代デジタルライブラリー 館内のみ閲覧可 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
士族 | 成文舎 | 1923 | 国立国会図書館蔵書 近代デジタルライブラリー | http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/981618 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第四次延長の世界 : Fourth Demensionの解説 | 昿台社 | 1924 | 78ページ | 公共図書館蔵書 | 初版には、重版以降とは異なる内容の序文「巻首に」が収められている。また、79~91ページの附録を欠く。下記第三版と異なるページ:見開き、巻首に(1)、巻首に(2)および目次、奥付。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第四次延長の世界(第三版) | 昿台社 | 1924 | 91ページ | 国立国会図書館蔵書 近代デジタルライブラリー | http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964053 「アインシタインの四次元〔附録〕」が追加される。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
成瀬関次編著 色線か死線か | 成文舎 | 1924 | ナルセパンフレット ; 第1 6+69ページ | 国立国会図書館蔵書 近代デジタルライブラリー 館内のみ閲覧可 | アメリカの白人至上主義と人種差別を告発 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マルクス学を崩す | 純日本社 | 1934 | 国立国会図書館蔵書 近代デジタルライブラリー | http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1111335
成瀬関次編 | 恩賜来歴 1937 | 国立国会図書館蔵書 近代デジタルライブラリー 館内のみ閲覧可 | 戦ふ日本刀 | 実業之日本社 | 1940 | 国立国会図書館蔵書 公共図書館蔵書 国立国会図書館デジタルアーカイブ(デジタル化資料) 館内のみ閲覧可 | 実戦刀譚 | 実業之日本社 | 1941 | 国立国会図書館蔵書 公共図書館蔵書 近代デジタルライブラリー 館内のみ閲覧可 | 戦ふ日本刀 | 実業之日本社 | 1941 | 公共図書館蔵書 | 日本刀匠譚 | 実業之日本社 | 1941 | 公共図書館蔵書 | 随筆日本刀 | 二見書房 | 1942 | 国立国会図書館蔵書 公共図書館蔵書 近代デジタルライブラリー 館内のみ閲覧可 | 戦ふ日本刀 | 実業之日本社 | 1942 | 公共図書館蔵書 | 日本刀の話 | (古藤幸年絵) 増進堂(少国民選書) | 1942 | 少国民選書 | 国立国会図書館蔵書 公共図書館蔵書 児童書総合目録 近代デジタルライブラリー 館内のみ閲覧可 | 古伝鍛刀術 | 二見書房 | 1943 | 国立国会図書館蔵書 公共図書館蔵書 近代デジタルライブラリー 館内のみ閲覧可 | 手裏剣 | 新大衆社 | 1943 | 公共図書館蔵書 | 剣者のをしへ | 増進堂(少国民選書) | 1944 | 小国民選書 | 国立国会図書館蔵書 公共図書館蔵書 児童書総合目録 近代デジタルライブラリー 館内のみ閲覧可 | 最後の章では、根岸流手裏剣の由来を述べる。 | 手裏剣 | 新大衆社 | 1944 | 公共図書館蔵書 | 臨戦刀術 | 二見書房 | 1944 | 国立国会図書館蔵書 公共図書館蔵書 近代デジタルライブラリー | http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1125964 | 武用日本刀 | 教養社 | 不明 | 成瀬閑次著 | 随筆茶壷 増進堂 | 1946 | 国立国会図書館蔵書 公共図書館蔵書 近代デジタルライブラリー | http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130286 | |
書名 | 出版社 | 刊行年 | その他 | 所蔵場所 | インターネット(公開/非公開別) |
公開/非公開 |
書名 | 雑誌名・収録書名 | 巻号 | 刊行年 | ページ | その他 |
深澤白人著「長編小説 黒葡萄」 | 婦女新聞 | 第826~852號 | 1916年(大正5年)3月17日~9月15日 | 新聞連載小説 | |
戰線の日本刀 | 文藝春秋 | 第17巻第3號 | 1939年2月 | 226-232 | |
刀剣修理班 ― 開封攻撃陣中記 | 文藝春秋 | 第17巻第6號 時局増刊18 | 1939年3月 | 88-107 | |
戰線物斬り譚 | 文藝春秋 | 第17巻第9號 特別号 | 1939年5月 | ||
紅槍匪 | 大衆文藝 | 昭和14年8月号 | 1939年8月 | 107-115 | |
白兵戰の實相 | 文藝春秋 | 第17巻第9號 特別号 | 1939年 月 | ||
戦線物斬り譚 | 文藝春秋 | 第17巻第9號 特別号 | 1939年5月 | ||
正宗の戸籍調べ | 刀と劍道 | 第2巻第1號(昭和15年1月号) | 1940年1月 | 105-138 | |
續・白兵戰の實相 | 文藝春秋 | 第18巻第3號 時局増刊現地報告29 | 1940年2月 | 故板野厚平伍長画 | |
臺児荘戰話集(小説) | 文藝春秋 | 第18巻第5號 | 1940年3月 | 230-255 | |
政宗と本阿弥の正体 | 文藝春秋 | 第18巻第6號 | 1940年 月 | ||
首切り浅右衛門秘事 | 文藝春秋 | 第18巻第15號 特集転失業対策とその批判 | 1940年 月 | ||
土肥原将軍 | 文藝春秋 | 第9巻第1號 現地報告40 | 1940年12月 | 170-178 | |
「行列券」の発行 | 文藝春秋 | 第10巻第12號 現地報告63 | 1942年12月 | 78-79 | |
鎌の兵術(兵術放談) | 講談倶楽部 | 第34巻第6號 | 1944年6月 | 52-53 |